東京湾観音建立の目的

「観音様建立の意」碑文

東京湾観音建立の目的

第二次世界大戦中、東京の深川で材木問屋を営んでいた宇佐美政衛氏が、戦争によって、人々の幸せが失われて行くのを目の当たりにし、世界平和の尊さが身に染みて解るようになりました。
そして、一人ひとりが他人をいとおしみ続ける心の支えとして、古くから日本人に親しまれてきた観音様を構想から建立までの5年に渡る歳月を費やし完成させ、人々が生活する中で、その人自身の生き方を支え、困難な時は救いの手を差し延べてくださる世界平和のシンボルとして建立に至りました。

戦没者慰霊

戦争体験者である宇佐美政衛氏は、昭和20年3月の東京大空襲の時、町会長と消防団長を兼務していた為、東京に居ました。下町は一面火の海となり避難しながら逃げ歩き、命だけ助かりましたが、下町に戻ってみると犠牲者が山のようになり、その光景やうろたえる人々を見て「どうにかせねば」と奮い立ち、戦後、建設委員長として下町の富岡八幡宮を支援し、戦没者慰霊から改めて世界平和を唱えるべき大きな願いである東京湾観音の建立に繋がりました。
生前は世界平和に異を反するような運動がある度に手紙や言葉を伝えていました。

完成までの長い年月

完成までの長い年月

昭和31年の構想から5年に及ぶ歳月をかけて昭和36年9月に完成(開眼供養)致しました。宇佐美政衛の指揮のもと多くの従事者の努力と地域の皆様の絶大な協力を賜り完成に至りました。

長い工期にもかかわらず一件の事故もなく、全て計画通りに進行できたのは観音様のご加護であると実感したそうです。

当時最高の建築技術

当時最高の建築技術

当時最高の建築技術で建てられた東京湾観音は、建築物としても大変興味深いものとなっています。56mの御姿を支えるため地下10mに16本の柱が埋められ、御姿の中心にある直径3mの軸によって全体が支えられています。内部は20階もの部屋に分けられ、らせん階段が御姿の中心軸に沿って作られています。建立に使われた鉄筋は280トン、砂利5,000立方メートル、セメント1万体。さらに足場、木枠など膨大な資材が必要でした。総工費用は1億2千万円(当時)が投じられました。

建立者の足跡

宇佐美 政衛

(うさみ まさえ)
Masae Usami

1889年(明治23年)千葉県君津市に生まれ、14歳にして上京、材木商に12年修行、この間兵役に2年、26歳にして独立し、材木商を営み、40歳で林業を志し全国に数千町歩の山林を求め造林に心を燃やし植樹を行いました。生来の正義感をもって公共に尽くし神社仏閣の建立、社会教育に尽力しました。
また、自宅も震災戦災その他で3回全焼したが、天災は神仏の教訓と甘受し、幾多の苦難を乗り越えて人生の道しるべを残し87歳の天寿をまっとうしました。

【 書物 】

道しるべ

昭和31年発行。宇佐美政衛氏の信条や、人生の教訓を歌った小冊子。現在までに約65万部が配られており、拝観所にて200円でお求めになれます。ポケットサイズですので、いつも鞄に入れて通勤中などに読めば心がリフレッシュされます。

幸福の栞

幸福への教訓を二十条の言葉で記した直筆の書です。300円にて拝観所にて求めになれます。(サイズ:53.5×34.5cm)

碑文

境内にある13枚の碑文は全て宇佐美政衛氏の直筆によるものです。正義を持って、幾多の苦難を乗り越えた熱き思いを境内で感じて頂けます。

長谷川 昻

(はせがわ こう)
Koh Hasegawa

1909年(明治42年)千葉県鴨川市生まれ。2012年に逝去。鴨川市名誉市民。
20歳の時に高村光雲に認められ、内藤伸を師に仏像彫刻家として活躍。
1962年(昭和37年)世界美術展にて「浄池」を出展し国際グランプリ金賞を受賞。
日展審査員、千葉県美術界会長(1988~1995年)を歴任しました。

【 作品について 】

金メダル作品「浄池」

現代の円空とも言われ、長谷川 昻氏の仏像彫刻の特徴は寂かさ(しずかさ)と温かさにあります。
製作にあたり彫材との対話から始まり、木の霊即ち大自然の心と一体になることで成し遂げられると云われております。

「聖観音」

東京湾観音の原型

東京湾観音は長谷川先生が奈良法隆寺夢殿の救世(ぐぜ)観音を思い浮かべ、独創的な御姿とされた如意宝珠を持つ如意輪観音です。東京湾観音原型は胎内13階にて公開しております。

長谷川 昴先生の資料の展示、その他

当所へお越しいただければ、さらに詳しい資料がございます。また支配人にもお気軽にお尋ねください。